バルタザールの遍歴

知り合いから佐藤亜紀の文庫新刊「雲雀」が出た情報を入手。
その時点でかなりわくわくしていたので
「あっ俺この作者の本好きナンジャン!」
と気づいたので既読も含めて

バルタザールの遍歴 (文春文庫)

バルタザールの遍歴 (文春文庫)

天使 (文春文庫)

天使 (文春文庫)

雲雀 (文春文庫)

雲雀 (文春文庫)

購入。
楽しみである。「雲雀」は「天使」との連作となる話。

ついでに

佐藤亜紀明治大学公開講座第一回ノート(07年5/12)を発見!
http://ooarikuifc.web.fc2.com/meijinote1.htm

キッシンジャークリントンの任期中に「ソ連が崩壊し、その影響力が消えたら、力の空白が生じ、大変な紛争が起こるだろう」という趣旨の発言をした。
スロベニアクロアチアコソボマケドニアの独立、ボスニア紛争を今回の講義の観点から言うならば、それは「フィルムが垂れ流しになった戦争」だと言えよう。
(ハンディカムがこの点で大きな役割を果たした)
それ以前の戦争との違いは、「やられる側が撮っている」という点である。
それ以前の戦争では、第三者であるジャーナリストが撮っていたり、やる側のアメリカが提供した映像であった。
また、かつての戦争は第三世界、せいぜいがベトナムでの事であって、我々はそれを自分がもしかしたらそういう立場に立たされるかも知れないという想像力を欠いていた。
ボスニア紛争は欧米人が巻き込まれた戦争だ。ウォークマンを聴く難民の写真が報道されたが、ここに至って「紛争と世界が地続き」であるという認識を我々ははじめて持った。
(これはマンガ「鋼の錬金術師」の描写にも表れている)
これ以降、我々はルワンダ等の紛争を、同じ人間がやられている戦争だとして捉えるようになった。
やっている側、やられている側にもそれ以前の生活があるという認識だ。
これは端的に言えば「人間の価値が下がった」ということであろう。
→「人間であっても殺されるのは当然」という認識。

このような人間の認識の変化を映画表現とからめて述べていたらしい。
興味深い。

※注:リンク先文中にある「大蟻食さま」とは佐藤亜紀さんを指す